毎回、掃除機を掛けてから「先にはたきを掛けるべきだった」と気付くことが多いので、テプラで掃除機に「はたきを先に」というラベルを貼りました。 ラベルを貼りながら気がついたんですが、これって今は亡き母がいかにもやりそうな作業だなと思いました。看護師をしていた母は、 家の中でもいろんなものにこまめにラベルを貼っていました。 たとえそれが自分1人しか使わないものであったとしても、他の人がやってきて作業するのに不都合がないかのようにラベルをつけていましたね。 そんなふうに、急に母親のことを思い出しました。
:hyuki: 耳の痛み/問題解決における若いころの悩み/こんなふうに生きていきたい 先週、耳が痛くて医者に行きました。診察によると、耳がだいぶ荒れていたようで、多分、耳が変な感じなので、気になって、無意識のうちに手が触れてしまい、かえって悪化したんだと思います。 点耳薬と痛み止めをもらって、毎日朝晩点耳薬を耳にさしていたところ、もうすっかり痛みはなくなりました。感謝ですね。 耳が痛いのは、あまり経験がなくて、でも気を散らされること甚だしいものがありました。まあ早めにお医者さんに行ってよかったですね。もうちょっと早くてもよかったかもしれませんが。 よく思うことですけれど、文章を書いたり、プログラムを書いたりする作業は、ある意味では、何もないところからものを作っています。作るための素材も、作る主体も自分の中から出てくるものなので、自分の肉体的、精神的状態は作業に多大な影響を与えます。気持ちの上で気にかかることや、肉体的に引っかかるものというのは、いわば仕入れ作業や建築作業に支障をきたすようなものです。 最近は特に、そのことを意識して注意するようにしています。どういう風に注意するかというと、何か引っかかることがあったらできるだけ早く解決しておくとか、こまめに休憩を取るとか、よくわからないけれど、引っかかるものがある感じがするなら、誰かと話したり誰かに伝えたりすることで緩和する。そんな活動を心がけています。 品質に「こだわる」事は大事ですけれど、それは必ずしも連続的に1つのことに取り組み続けるのを意味しません。むしろ逆かもしれませんね。心のどこかでは1つのことをずっと考えているのだけれど、気分転換をしたり、運動をしたり、インプットしたり。そういう別の刺激をいつも心がけておくのは大切でしょう。 なぜなら、1つのことに連続的に関わっていると、だんだん感覚が麻痺してくるからです。正座し続けると足がしびれるのと同じです。「こだわる」ためには、細やかな違いにも敏感になるために柔らかで繊細な心が必要です。そしてそのためにこそ、うまく気持ちを切り替える必要があると思っています。 様々な刺激を受けることや、うまく気持ちを切り替えるのは、自分の「こだわり」に対して、様々な角度から光を当てることに通じます。主観的に見たり、客観的に見たり、近くに寄ったり、遠くから見たり。様々な視点から、様々な角度から、その同じものを見ることによって、より良い「こだわり」が実現できるともいえます。 ですから、大変逆説的に聞こえるかもしれませんが、近づくために離れるタイミングが必要だともいえます。そして、足腰を鍛えておくことでフットワーク軽く運動できるのと同じように、心を健康に保つことで、フットワーク軽く考えることができると思っています。 若いときにプログラムを書く仕事をしていて、悩むことが大変多かったのですけれど、そのときにはまさに1つのことを続けて考えすぎていたように思います。近づいて近づいて問題に密着することで、問題を解決しようと思っていたのですが、それはずいぶん素朴で単純すぎる問題解決だったと思わずにはいられません。 しかしながら、当時の私にとっては、それ以上深く(あるいは広く)考えを揺さぶることができなかったのだろうなと思います。1つにはそれは、自分の傲慢さから来ている部分があると思います。すなわち、「自分の問題は、自分で解決できる」という傲慢さです。そんなことは全くないのに。学校での勉強が多少できることは、そのような「自分の問題は、自分で解決できる」という誤った自己認識を育ててしまったのだと思います。でも、それが全て悪いかというとそうでもないのが難しいところ。 あるときには、そのようなある種の傲慢さをまとう(まとわざるを得ない)状況は避けがたいと感じます。それが正しいこととは言えなくても、その時代の自分を支えてくれる可能性があります。 現在の私が思うのは、過去の全てを闇雲に否定するのではなく、「あのときにこうすればよかった」と後悔するのでもありません。またあのときの私は全て正しかったのような肯定をするのでもありません。 あのときの私は、こんなふうに考えて、こんなふうに行動した。それは全て正しいわけではないけれど、全てが間違っているわけでもない。その時々の自分の判断としては、仕方がない面もたくさんあった。現在の私は、その良いと思うところを伸ばし、間違っていたと思うところを正していこう。そんなふうに思っています。 全否定ではなく、全肯定でもなく。 現在の私は、過去の私や未来の私と同じように「生きている人間」なのですから、変化することはおかしくないし、間違ったことや正しいことを両方とも含みながら進んでいく。そんなふうに思います。 変化することそのものを恐れたり、変化は不可能だと思い込まないようにしたい。良いと考えることならば、どんどん変化することに躊躇しない。悪いと分かったならば、やめることに躊躇しない。 そんなふうに、心も身体もフットワーク軽く進んでいきたい。 朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。  * * * いつも私の話を聞いてくださりありがとうございます。 あなたの今日も素晴らしい一日になりますように。
DALL-Eのcreditが期限切れになりますよというDMが来たので見にいきました。一年前に購入したcreditをまだ使っていなかったというくらいmidjourneyばかり使っていたということか。
:hyuki: 執筆作業におけるプリントアウト、赤ペン入れ、ファイル反映の実際について 昨日は、第6章の中盤戦といったところでした。昨日は特に、こまめにプリントアウトをして赤ペンを入れてファイルに反映する作業を何回も繰り返していました。こういう作業は、結構好きです。 先日プリントアウトして構成するために、やや厚めの紙を購入して使っていました。今までは普通のコピー用紙を使っていたんですが、心待ち厚手の紙を使ってみたのです。 プリンターとの相性が悪いのか、普通のコピー用紙だと熱か何かのせいでカールしてしまうことが多くて、赤ペンを入れるのに苦労することが多くありました。厚手の紙を使えば、それがだいぶマシになるかなと単純に考えたんですが、大体思惑通りに行きました。カールしなくなったし、赤ペンを入れやすくなりました。 厚手の紙は普通のコピー用紙よりも、値段が高いんですが、それほどたくさんプリントアウトしまくるわけではないので、まずまず許容範囲かなと思っています。 赤ペンを入れるときに使う筆記用具は、普段は3色ボールペンを使うんですが、昨日は買ったばかりの万年筆を使ってみました。カクノです。力をあまり入れなくてもすらすら書けるので、なかなか良いです。 普段はPDFを読んで、そのまま原稿を書き進めたり、修正したりするんですが、なかなか進まないときには、こんなふうにプリントアウトをして赤ペンを入れます。画面とキーボードだけで編集作業をするのと、紙と赤ペンを使って編集作業をするのとでは、気分がずいぶん変わります。どちらが良い、どちらが悪いというのではなく、気分を変えることが大事だと思っています。 テキストエディタを使えば、検索することで、目的の場所に瞬時に移動できます。それはもちろん大変良いことですけれど、それが仇になる部分もあります。思ったところに瞬時に移動できるので、あちらこちらを少しずつ修正してしまうからです。今描いている最前線に集中できなくなるということですね。 今書いている原稿全体は、もちろん自分の大きな関心事ですから、気にし始めるとあちらもこちらも修正したくなってくるのです。 その点、いったんプリントアウトして紙に向かって赤ペンを持って修正するとなると、あちこち瞬時に移動するわけにはいかず、現在見ているそのページ、その1枚に集中することになります。それがとても良い効果を及ぼす場合があるのです。 そのような編集作業の特性を理解していると、プリントアウトした紙を有効に活用できるようになります。つまり、全体をいっぺんに扱うのではなくて、現在見ているその1枚でできる限りのことをやろうと意識を向けるのです。 もちろん、それとは別に、全体をパラパラ見たり、分量を体験的に把握するためにもプリントアウトは有効ですが、昨日の作業はそうではありませんでした。プリントアウトして得たその1枚に集中する時間をたくさん持ったのです。それはそれでなかなか幸せな時間でした。 1枚に集中するときに、陥りがちな失敗があります。それは、自分の頭の中に情報を残したまま走り書きでメモしてしまうという危険性です。プリントアウトを読んでいると、自分の頭の中にアイディアが浮かんできて、走り書きしたくなることがあります。それはそれで悪くありません。しかしながら、走り書きで終わらせるのはあまり賢明ではありません。端的に言うと、後から読み返したときに意味がわからないことがあるからです。 思いついたアイディア、走り書きで書きとめた上で、きちんと、文章の形で紙の上に残しておく意識はとても大切です。そのときに心がけると良いのは、「この赤ペンを入れた紙を原稿のことがよくわかっている人に手渡しても、ちゃんとファイルに反映することができる」と、そのようなつもりで書くということです。このような心がけで赤ペンを入れるならば、自分が後でファイルに反映するときに困ることはほとんどありません。他人に渡すつもりで赤ペンを入れる。これは良い心がけです。 いつもタイピングをしていると、手書きがもどかしくなることがよくあります。こんな文字を一つ一つ書いている時間があったら、キーボードに向かってさっさとタイプすれば良いのではないかと思うからです。そこも考えどころです。 確かに大量の文章を入力するならばタイピングしたほうが早いでしょう。しかし今やっているのは、そういうことでは開きません。絵理香に向かってややこう着している状態を打開するためにプリントアウトし、この1枚に向かっているのです。 ですから、走り書きしたくなったときや、プリントアウトを捨ててテキストエディタに向かいたくなったときには、ぐっとこらえて、わざと丁寧な文字を使って文章を書くことは有効です。実は、そのようにして丁寧に文章を(あるいは文字を)書いていると、不思議なことが起きます。不思議なことというのは、全く違う次元のアイディアが浮かんでくる場合があるということ。 おそらくそれは、手が文字を書いている間暇になった頭がさらに深い探索を始めるからじゃないかと思います。手が、文字を書いている間、頭は内容を考えてくれるのです。こんな並列作業が可能になるのです。 この表にして赤ペンを入れた紙を見ながら、今度はファイルに入力するわけです。このときには、2つのアクションがあります。1つは、そこに書かれた赤ペンによる指示をそのまま機械的にファイルに反映させようとするアクション。これは、先ほど自分がやっていた他人に見せても大丈夫なように丁寧に指示をかけているかどうかを確かめる意味合いもあります。 そしてもう一つは、新しくさらに生まれたアイディアをしっかりと書き留めるアクション。テキストエディタに向かっていると、紙に書かれていない指示や修正を頭が思いつくことがあります。それもまた大切な内容を含んでいることがあるので、素早くキーボードでメモしておくのは有効でしょう。 このようにして、プリントアウトと、赤ペン入れと、ファイル反映のセットを何回も繰り返して、文章を書き進めていきます。そこには、自分というデバイスを使って執筆作業を行うためのプログラミングをしている感覚があります。そしてそれは、私にとって多重の喜びを与えてくれる活動になっているのです。  * * * 朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。 この文章は、iPhoneの音声入力を使ってリアルタイムで入力しているものですから、あちこちに変換がおかしいところや文章がねじれている部分があると思いますけれど、どうかご了承ください。 今回の話も、加筆修正の後に、いつか私のメールマガジンで読みものとしてまとめたいと思っています。 いつも私の話を聞いてくださりありがとうございます。
:hyuki: モチベーションを保つ話/他人との比較の話/継続的な学びの話 仕事柄、本はよく買いますし、それなりに読むと思います。若いときほどは、たくさんの本を読まなくなりましたけれど。 こんなことをよく経験します。本を買うときに「この本は読んでおかなくてはいけないな」と思って買う本はなかなか読めません。それに対して、特に読まなくてはいけないというわけではないんだけど、気になって買ってしまった本は意外にするっと読んだりします。 あれは何なんでしょうね。考えてみれば、義務感で買った本はなかなか読めないという当たり前のことかもしれませんが。 勉強全般にしても同じことがいえます。義務感で行う勉強はなかなか取り掛かりにくいですし、何だったら身にもつかないかもしれません。 広く言えばモチベーションかもしれませんが、その活動に向かうときの心持ちは、活動内容そのものに大きく影響を及ぼします。そこまで一般化したら当たり前すぎるか。 いろんな方が、仕事や勉強に対するモチベーションをどう保つかということを気にします。もちろん、私も気にします。私の場合には、モチベーションを保つときに大切なのは、自分なりの工夫ができるかどうかという所にあるように思います。自分のこととしてそこに参画できるかどうかという意味です。個人的な動機付けといってもいいのかな。 その他にモチベーションを保つための1つとして、自分なりの発見というものがあります。広く言えば、自分なりの工夫ができるということにもつながりますけれど、話を聞いたり本を読んだりしていて「なるほどそういうことか」という自分なりの発見があると急にモチベーションがアップします。別の言い方をすれば、自分なりの発見があると、そこでその活動が「自分ごと」になるのでしょう。 ここで難しいのは、自分なりの発見をしたり、自分なりの工夫をするためには、その対象をある程度深く理解する必要があるということです。ある程度深く理解するためには、モチベーションが必要ですから、これは典型的な鶏卵問題になります。モチベーションアップするのが先か、自分なりの発見をするのが先かということです。 何かを勉強したときに、「なるほどそういうことか」という発見が早く来るものと遅く来るものがあります。言うまでもありませんが、私の場合には、その発見が早く来るものの方が馴染みぶかいようです。 大切なことの1つとして、その「なるほどそういうことか」という発見が既になされていても、全く関係がないということがあります。世界で初めてその発見がなされたかどうかというのは、私にとってはあまり大きな意味はなくて、私自身の中で初めてかどうか、私にとっての発見かどうかが大切なようです。 その意味で、私の関心事は自分自身に集中していると言えるかもしれません。 自分が理解しているかどうか、自分が発見しているかどうか、自分が納得しているかどうかが大事である。この発想は、他人との比較を避ける意味では、とても大切だと自覚しています。 数学ガールでも出てきましたが、世界中の人が理解していたとしても、自分が理解していなかったら、それは学ぶ価値があると思います。あるいはまた、世界中の人が既に理解していることを、自分が今初めて理解したとしても、それは意味があることですし、何一つ恥じることはありません。 話を戻しますが、「この本は読んでおかなくてはいけない」と考えた本がなかなか読めないという話をしました。それは義務感から来る勉強がやりにくいという話なのかもしれませんが、もしかしたらちょっと違うかもしれません。 本当に自分が今学ぶべきものと、自分が頭で勝手に考えている学ぶべきものとの間にズレが生じている可能性があると思ったのです。 今まで自分は、こういう活動をしてきたから、こういうものも読んでおかなければいけないというのは、大変建設的な考え方のように感じますけれど、別の見方をすれば「イメージ先行」ともいえます。 もう少し自分の深いところから、eager to knowという気持ちから生まれてくるものをきちんと見つけなくちゃいけないんじゃないかな。そんなふうにも思います。 この辺はなかなか微妙な問題を含んでいます。たとえば、大学時代に自分がなかなか勉強できなかった時期があります。そのときにまさに今と似たようなことを考えていたのを覚えています。つまり、一つ一つの学びに対してもっと思い入れがなくてはいけないというような感覚のことです。これは正しい面もあるんですけれど、非常に危険な面もあります。というのは学びというのは、大半が地味なものであって、淡々とコンスタントに行うべき部分が大半だからです。もちろん、折に触れて熱心さを出す必要はありますけれど、それを継続するのは大変難しいものです。自分の「やる気」や「熱心さ」に大きく依存しては継続が難しいのです。 おそらくですけれど、両方が必要なんだろうなと思います。自分の深いところから湧き上がってくるような熱心さや動機。それをスタートダッシュや、だれてきたときのカンフル剤として用いるのはいいけれど、日々の学びの継続のために、それをあてにしてはいけないのではないかと思うのです。ルーティンワークは重要です。 その一方で、ルーティンワークの継続によって全てが成し遂げられると思うのもまた偏りすぎているのだと思います。なんとなくジリ貧になってしまったり、されてしまったり、手癖のままで仕事をするようになってはいけません。ときにはきちんと窓を開けて新しい風を取り入れる必要があるのです。さもないといつの間にか窒息してしまうでしょう。 たった1つの方法で全てが賄えると思いたくなるのは人情です。これが必殺技だとか、これさえ覚えれば完璧みたいに考えたくなりますけれど、それはきっと正しくありません。良い方法や、良い作戦は、それとして、どんなに良い方法であっても、どんなに良い作戦であっても、時折見直したり、新しい風を通す必要があるのでしょう。だからこそなおさら、他者を批判することに関しては注意深くありたいものです。特に自分と違う方法を取ろうとしている人に対しての批判は十分な注意が必要になるでしょう。前提条件が自分と全く異なるかもしれないからです。 朝の散歩をしながら、そんなことを考えていました。  * * * いつも私の話を聞いてくださり、ありがとうございます。今日も素敵な一日になりますように。
#midjourney 範囲指定してそこだけ修正するという機能が追加されたようです。一枚目の画像はいい感じなのですが、指がおかしなことになっています(本数)。Vary(Region)を使ってそこだけ修正することができます(二枚目画像)。そこから一枚を選ぶと指が改善されたバージョンが得られます(三枚目)。
"毎週金曜日に更新しているWeb連載「数学ガールの秘密ノート」は現在オフシーズンになっています。(…)筆者都合によりオフシーズンを一週間延長し、再開を2023年9月8日(金)とさせていただきたいと思います。"
#キーボード カジュアルなテキスト編集(ブラウザでtextarea内の編集など)でShift+矢印キーで範囲指定というのをよくやるけれど、考えてみるとShift+Control+PやNで上下に関しては同様のことができるな(キーコンビネーションをもう少し活用してホームポジションから手を離さない方向をもう少し開拓しようとしているところ)。
2023年8月26日(土)の「結城浩の談話室」では、映画業界、IT業界を経てフリーランスのゲームディレクター&シナリオライターをなさっている30歳直前の男性と二人でお話ししました。チームで仕事をすることと個人で仕事をすることの違い、作家と編集者の関わり、日々の仕事で生まれる成果物と自分の代表作となる作品の関係などについて情報交換し、大変もりあがった会話を楽しみました。ありがとうございます!
◆数学ガールの電子書籍半額/数学ガールの特別授業