珍しくモロに傷ついていたんだが、他人からの評価を一笑に付せなかったのは、シンプルに相手の要求要望を相当飲んで汲んで心底誠実に言葉を紡いできた時間を無視されたらそりゃあ多少は削れる
まぁでも普通の人間のフリすんのがだるいって思ってる時点でなんかしらストレスだったんだろうししょうがねぇか..............
なんか普通の人間のフリすんのダルなって素で行きすぎた...
文字通り、何故できないのかが全くわからない。5年10年先の"自分の"未来がわからなくても、その場での妥当な判断や当たり障りのない議論、クリティカルな発言はできる。 しかし、そこに自分がいなければ何の意味もないと思うんだが。
自分が極点にいるから逆側との対比を論じることができない。わからないから。
あと、物事を見る眼の話として、平面の遠近のピント(具体と抽象といった方がわかりやすいかもしれない)と、視座の高低のピントは全く種類が異なる。 世間一般で評価されるのは遠近のピントで、高低の部分は評価されていないのが現状。
体験は常に3次元で、そこの物質からしか得られないものがある。
気配の強弱というものの話もついでにしておくと、気配が強い人間は山と気配を合わせると言ってもさっぱりでしょうが、気配の弱い人間には恐らく通じる。同化する感覚はエネルギーが微弱な人間にしかわからない。
大変スピリチュアルなことを申し上げるのですが、自分の中の人の気配を削ぐというのは定期的にやっておいた方がいいんですよね。 汚れというか錆のようなイメージで、山にでも行って山と気配を合わせるとちょっと自分の気が人工から自然へと還ってくる。
大変ありがたいことに人懐っこくて可愛いと言われるようになりだした(30)なんですが、多分色々経験して捌くのが上手くなった結果として余裕が愛嬌として出てるんだとしたらよかったなというところ